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社長ブログ

2021.10.14

気が付いたら5カ月⁉

お久しぶりです。3回目のブログを書いていて気づいたのですが、初回が今年の1月、2回目が5月、今回の3回目が10月とほぼ5カ月に1度の投稿になっていました。
最初は1カ月に1回が目標だったので、ペースの遅さに愕然としました。S部長すみません(汗)もう少しが頑張ればきっと、すらすらと書けるようになるんだろうと期待を込めつつの3回目です。

今回も祖父の思い出と、父のことと、私が若かった頃の我社の仕事についてです。

祖父のおもしろエピソード

祖父は103歳で亡くなりましたが、88歳まで社長として仕事を続け、90代中頃まで会長として在職していました。仕事が趣味のような人でしたから、90代になっても歩いて会社に来て、帳簿に目を通したりしていました。何を見ていたのか分かりませんが、売上とか資金繰りとかが心配だったのでしょうか。
当時社長だった父は複雑だったでしょうね(笑)

前回も書きましたが、私が若い頃は祖父の営業に同行し運転手もしていました。ある日苫小牧方面に出張に行ったのですが、食堂で昼食を済ませ、次の得意先へ向けて10~20分ほど車を走らせていると、不意に「食堂に入れ歯を忘れた」と言い出しました。驚いて祖父の顔を見ると、確かに総入れ歯を外したクシャッとした顔になっていてびっくりしました。約束の時間もあったので慌てて戻りましたが、お店の方が親切に保管してくださっていました。その時は慌てていたのと、お客様との約束の時間もあったので、ちょっとイライラしましたが、会社に戻ってその話を皆にすると、会長らしいと全員大笑いとなり、いつの間にか笑い話になっていました。

おでこに眼鏡をかけて、眼鏡が無いと探しているような、おっちょこちょいな祖父の数あるエピソードの一つです(笑)

大変だった当時の仕事

父が専務だった頃に、新たにギフト品の扱いを始めました。それまではカレンダーとタオルの売上が圧倒的に多く、ほかに広告マッチや夏場の扇子、うちわなどが商材としてありましたが、売上としては冬物に比べると、大分少なかったと思います。

冬物商戦の繁忙期は8月から12月までで、その間はまさに過酷でした。9月に入るとほぼ休みが無く、土日も祝日も働き、ほぼ毎日残業で深夜まで仕事をしていました。数回は徹夜でカレンダーの印刷をして、そのまま地方に納品に行ったこともありました。今では考えられない過酷な労働環境でした。多分、月に150~200時間くらい残業していたのかなと思います。

長男が生まれたころもこの状態でしたので、夜中に帰って息子の可愛い?寝顔を見てから泥のように寝ていたのを思い出します。今はその息子とも一緒に仕事をしているので時代の流れを感じますし、可愛い寝顔なんて書くと気持ち悪いとか言われそうですね…(笑)
では、月1回のペースを目指して4回目の更新も頑張ります。