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2021.05.19
ご無沙汰しております
前回から随分と時間が経ってしまいました。まだ2回目なのに、中々進まずお恥ずかしい限りです。
今回は会社の歴史と創業者である祖父、富田三郎について少しお話しさせていただきます。
剣の道から商売の道へ
祖父は明治35年、札幌で生まれました。当時、曾祖父は剣道の師範で、「大日本武徳会教士六段、甲源一刀流免許皆伝」という腕前で、剣聖と言われた山岡鉄舟の道場でも数年修行していたと効聞いています。また、祖父が生まれた頃は曾祖父が札幌体育所(後の市立体育館)の初代所長兼師範をやっており、お弟子さんも大勢いたようです。
札幌体育所の官舎で生まれ育った祖父でしたが、幼少期より足が悪く剣の道はあきらめ、商売の道に突き進むことになったのです。
創業は「サツエキ」エリア
大正14年札幌の北4条西5丁目で今の丸富富田商会を創業しました。この住所だと現在のアスティ45の辺りでしょうか、今では考えられないような好立地で商売を始めたのですね。
当時は、扇子、うちわ、カレンダー、広告マッチなどに商店名などを入れて販売しており(現在の販促品、ノベルティですね)、主なお客様は魚屋さん、酒屋さん、米屋さんなどの商店でした。私が入社した当時もまだこのような注文が多かったのですが、残念ながら現在はほとんど無くなってしまいました。
昭和初期の社屋前にて。写真右から2人目が創業者の富田三郎
北海道団扇カレンダー卸商組合 初代会長に
戦後間もない昭和27年には「北海道団扇カレンダー卸商組合」が設立され、初代組合長に就任し、業界発展のためにリーダーシップを発揮したと聞いております。
その後、昭和32年に法人化、2年後の昭和34年には現在の場所に本社を移転し現在に至っており、何の縁なのかこの年に私が生まれました。
祖父の営業に同行で気づかされたこと
祖父は商売熱心で真面目な人でした。お酒はほとんど飲まないので飲みにも行かず、週に1~2本煙草を吸う程度、ギャンブルもせず、ほとんど家に居るような人でした。ギャンブルではないですが、宝くじは大好きで朝早くからちょくちょく買いに行っていました。残念ながら高額当選は一度もなかったようですが(笑)
また、買い物が好きで、デパートの「うまいもの市」などに一人でいそいそと出かけて行き、色々と珍しいお土産を買ってきてくれたのを覚えています。
私が入社間もない頃、足の悪い祖父の運転手として営業に同行しましたが、一軒にかける時間がとても長く、商売以外の話もじっくりと時間をかけていたのかと思います。営業が終わってからお客様の社長さんや、店主の方から聞いてきた色々な話題を楽しそうに喋っている姿を今も思い出します。昨今だと効率が悪いと怒られそうですが、営業の基本である「まずは信頼関係、人間関係の構築から」ということを実践していたのでしょう。
次回も、そんな真面目でちょっと不器用だった祖父の思い出話をしようと思います。いつになることやらですが…